車で1時間かけて遠方から来てくださるのにも関わらず、いつも着物の方がいらっしゃいます。この日も別の方が着物で来てくださいました。着物を着る時間も含め朝早くから準備してくださったのだなあと思うと、ありがたく頭の下がる思いです。私はと言うと、最近着物を着ていないことを反省しました。
 私はこの教室を始める時、できる限り着物で立とうと決めました。今日はそのお話を少し書こうと思います。
 尼僧だった祖母と母は普段から着物の生活でした。いわゆる女性ものの着物と言うよりも、僧侶用の男性の長着のような地味な着物を対丈で(おはしょりなし)、もちろん衣紋抜かず、帯もほぼ男性もの、そんな着方をしていました。着物は普段着と法務用があり、帰宅すると着替えて割烹着を着ていました。庭仕事も掃除も着物+もんぺ、割烹着、タスキでこなしていました。今の時代ではなかなか想像できない光景ですが、我が家では普通、昔の日本のお母さんたちも皆んなして来たことなので、できないことはないだろうと始めたことです。
 「着物を身近に」と言う趣旨で、普段着物を着る会を仲間と立ち上げて活動していますが、私が着物で教室に立てば、もっと着物のハードルが下がり、より多くの方に着物への親近感を持っていただけるのかなと思いました。実際に教室の日は着物で掃き掃除、雑巾掛けからスタートし、割烹着を着て過ごします。暑い日は汗が流れお見苦しい姿をお見せしたこともありますが、昨年は使命に燃えて着物を着ていたなぁと思い返しています。
 楽をしようと思えばいくらでも便利さを追求できる今、丁寧に暮らすということは楽ではないことばかりです。精進料理は「作ることも食べることも片付けることも修行」という点で丁寧な暮らしに通じるので、せめて教室の日ぐらいは自分の修行のために頑張らないといけない。
生徒さんの着物姿を見て改めて反省した出来事でした。
 6月もありがとうございました。7月もよろしくお願いいたします。